郷土芸能しませんか?
劇団夢の海
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戸羽芳文
尾形友香里
一色法人
 東日本大震災の被災地には、たくさんの郷土芸能がある。地域の風土、産業や生活のなかから生まれ、伝承されてきた。宮城県気仙沼市の「鮪立大漁唄込」もそのひとつである。
 しかし、2011年3月11日の大津波で、漁港と周辺施設はほぼ全てが流された。会員は被災し、和船や家宝として伝わる大切な看絆の多くを失った。
 そのような中同年5月、交流が続いていた新宮市から慰問団が来る事になった。鮪立大漁唄込保存会は感謝の気持ちを表そうと大漁唄込を唄い一行を迎えた。震災でいったんとぎれかかった「大漁唄込」が新宮との絆をきっかけに復活した瞬間だった。
 震災でやむを得ず、いったんこの地をはなれざるをえなくなった人たちもいる。「大漁唄込」が唄いつがれれば、彼らがこの地に帰って来た時、この唄で迎えることができる。ふるさとの唄を聞いて懐かしく思ったり、ここにきて顔見知りに会ったり、新しく仲間をつくり直会で楽しく会話したり…人と人がつながって、過去から現在、現在から未来へと唄い継がれる。
 唄い継がれていく文化の先に、地域の未来がつながっていく。
※文章は地域未来研究センター研究主幹清水希容子氏によるものです。(日経研月報2012年3月号より転載)
 その昔、鮪の大漁で賑わったことから名付けられた鮪立漁港は、唐桑半島の入り江に佇む天然の良港だった。
 2011年3月11日、大津波が鮪立漁港の佇まいを根こそぎ呑み込んでいった。
 延宝3年(西暦1675年)に鮪立古館の先祖鈴木勘右衛門は、溜め釣り鰹一本釣りに来ていた紀州の舟5艘と漁師約70名を迎え入れて、三陸沿岸にこの漁法を導入することを試みた。そのとき周囲からは村の生活を脅かすものと強く反対されたが、末には必ず村の重宝になると仙台藩に訴え続け、村の子供にまで習得させることでこの漁法が定着することとなった。勘右衛門は権力に屈せず庶民の助けになり、ひいては藩の為世の為になる最良の方法と信じ、一歩も退かず断乎として信念を貫いたのである。その後の三陸地方の漁業の発展を考えるとこれは画期的な出来事であり、唐桑の最も誇りとするところである。
 鮪立大漁唄込保存会結成35周年に当り茲に鈴木勘右衛門の業績を顕彰し記念碑を建立するものである。
平成22年10月吉日
鮪立大漁唄込保存会一同
(記念碑刻字より)
 延宝3年(1675年)、紀州和歌山三輪崎の和船5隻が黒潮に乗って北上する鰹群を追って唐桑沖まで北上し、鮪立港に入港しました。地元古館家の先祖勘右衛門は彼らを温かく迎え入れ逗留させました。その後この和船に地元の若者を乗組させ、鰹溜釣り漁法(生きている鰯を撒きながら魚群を集めて釣る漁法)を習得させ当地方に導入しました。鮪立大漁唄込保存会は勘右衛門の業績を顕彰し古館家敷地内に『三陸地方鰹一本釣り発祥の地』記念碑を建立しました。『鮪立大漁唄込』はその当時から櫓櫂を漕ぐ拍子に合わせ唄われた作業唄でもあり、鰹を大漁して入港する際、その直前から唄い始め逸早く留守家族に水揚げ支度を促す伝達手段の役割も果たした大漁祝い唄です。鮪立の唄込みは大漁唄込の原点として、櫓櫂の拍子に合わせた、ゆったりとした曲調を頑に守り継いできました。