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劇団夢の海
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戸羽芳文
尾形友香里
一色法人
 七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきたのです。
 唐桑町の芸能の多くはこの地で生まれたものではなく他からの移入であるが、若干創作的手が加えられ、唐桑の土壌に育くまれ、風土にきたえられて、他所とはその趣向を異にしたものとなっています。
 「神止り七福神舞」は、囃子方、唄手、舞手の三者が一体となって行われます。
 囃子方は大太鼓一人、笛一人、鐘一人から成り、それに唄手が二人、舞手七人の構成で、その全てが夫を船乗りとする女達に依ります。
 曲目は、大黒舞、恵比寿舞、福禄寿舞、毘沙門天舞、寿老人と布袋の舞、そして弁財天舞とに区分けされた形になっていますが、最初に七福神総出で踊り、次に七福神の一体一体が、大黒天は豊年萬作・子孫繁栄・万世の平和を願い 恵比寿は大漁を祈り、福禄寿は家内和合を祈願、毘沙門天は四方八方の厄を払い、寿老人と布袋は仲良く長寿を、弁財天は無病息災を願って特技を演じ、最後に七福神総出で踊ります。扮装にも工夫がこらされ、それぞれが特色にあふれています。
 中国は唐の時代(618~907)に、桑の木を満載した船が嵐に遭って難破し、積荷がこの地の海辺に流れ着いた。これが唐桑の呼名の由来であるという。
 さらに伝説は続きます。
 その折、この海辺すなわち神止り部落の浜に流れ着いた桑の木とともに、中国の多種に渡る文献書籍が数多くあった。時を経るにつれこれら文献書籍の事は人々の脳裏からはずされがちであったが、嵐の毎に、古老達が咲かせる昔話の花となって語り継がれていた。部落の人達がこれらの事に関心を持ち始めたのは、不漁不作が続き、立ち直るために何か心の糧として結びつく守り神をと考え求めた結果である。古老達の話が想い起され、忘れ去られようとしていた漂流物がまさぐられ、その中の竹林の七賢人の絵が人々の目にとまり、徳をたたえたようなそれらの風貌は人々の心に焼きつけられた。と
 やがて中世に入り、竹林の七賢人にならい福徳の神七体をとりあわせた七福神が、瑞祥のしるしとして、絵画や彫刻、そして歌に舞踊に喜ばれ広く信仰されるようになりました。
 戦後は昭和23年頃、当時唐桑の漁業が大きく発展し七つの洋を舞台に活躍を続けつつあって、留守を預る妻達はただひたすら夫の、息子の航海の安全と大漁と無事な帰港とを祈り続けていました。こうした女達の願いを七福神舞に託した神止り部落の婦人達の創意工夫により七福神の舞が一諸になり、それよりはじまって今や舞手が女だけのものとなりました。
 今日に伝わる「神止り七福神舞」である。